2020年7月24日(金)
『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺』
こんにちは、小江戸審判倶楽部のMasaです。
上記は柿が大好きだった俳人・歌人、正岡子規の有名な一句です。
この正岡子規、生まれたのはギリギリ江戸時代の1867年(慶応3年)で、翌年が明治元年です。
正岡子規は野球と深いつながりがあり、日本に“ベースボール”が導入された明治初期より、選手として熱心に“ベースボール”に取り組んでいたそうです。
正岡子規とベースボール(野球)を時系列でザックリ並べますと・・・
・1867年(慶応3年) 正岡子規生誕(0歳)
・1872年(明治5年) ベースボールが日本に導入(5歳)
・1890年(明治23年) 正岡子規、病気により選手を引退(23歳)
・1894年(明治27年)ベースボールが『野球』と訳される(27歳)
・1902年(明治35年)正岡子規、死去(34歳)
正岡子規は日本に『野球』という言葉が生まれる以前からベースボールを始め、そして選手を引退をしているのですね。
ちなみに正岡子規は没後100年経った2002年に、近鉄・鈴木啓示氏、阪急・福本豊氏らと共に野球殿堂入りをしています。
正岡子規は選手の頃、東京の上野公園内で野球を楽しんでいたとの記録があり、それを記念して上野恩賜公園内の野球場は『正岡子規記念球場』と名付けられております。
さて今回は、その正岡子規記念球場にて審判のご依頼を頂きましたブルーシャークス代表の兵頭様をご紹介します。
ブルーシャークスさんは会社のメンバーとその知人で結成し、現在月2回土曜日に活動をしておられます。
メンバーは埼玉・東京・神奈川と幅広い地域から試合に参加しているのですが、兵頭様いわく『なかなかメンバーが集まらないのが悩み』で、試合では常に助っ人を呼んでいるとのことでした。
メンバーの大半が50代半となり『全然動けません』とおっしゃっておりましたが、しっかり盗塁も決めるなど50代半ばとは思えぬ走力を披露されておりました。
きっと普段から走り込みはしっかりとされているのでしょうね。
この日の試合は、ブルーシャークスさんも対戦チームも気遣いやマナーがとても良く、お互い気持ちよくプレーされておりました。
例えば、3塁フォースプレーにおいてタイミング的にアウトだったのですが、三塁手がベースをきちんと踏んだかどうか微妙なシーンがありました。
この時三塁手の方が『すみません、私、ベースを踏めませんでした』と自己申告をしてくださり、アウトの判定を修正しセーフで試合再開となりました。
こういった自己申告がありますと、両チームが清々しくプレーできますね。
判定を間違えた審判の私も選手の自己申告に救われました。
そして試合後にはブルーシャークスさんのメンバーから『今日は審判ありがとうございました。とてもプレーしやすかったです』とわざわざお声掛けいただきました。
こういった一言をいただけると思っていなかったので、帰宅路の道中は嬉しい気持ちで一杯になりました。
お心遣い本当にありがとうございます。
本日は審判のご依頼ありがとうございました。
皆さん60歳を超えても“生涯現役”で頑張ってくださいね。